2011年5月16日月曜日

大高 誠さん(22回)のメールです。 全障研への文章。

16日に大高 誠さんから届いたメールです。(三浦)


宮城の大高です。  実に懐かしいです。お元気のようで何より。 ブログへの転載、OKです。
昨日(15日)も石巻にボランティアで復旧活動を行ってきました。
 ある個人宅の床下の泥上げです。作業しやすいように床材をまず壊して、それから約2センチくらいの層になっている
ヘドロを麻袋に詰めて運び出す作業です。 アスファルトの柔らかくなったのを想像してもらえばよいです。
津波の押し寄せたところはどこもヘドロの置き土産があります。放置しておくとカビが生えたり、有害物質が発生するようです。津波はきれいな海水ではなく真っ黒な濁流なのです。
 震災後2ヶ月経っても一向に片付かないがれき、民家に突き刺さったままの車、あるはずのないところにある漁船。宮城の27年分の廃棄物が一気に吹き出してしまって、手はつけているが気の遠くなるような量です。
  町にはボランティアの若者があふれていました。私は全労連関係のグループで活動しましたが、他に無数の団体が入っていて、それぞれに腕章やゼッケンなどつけて活動していました。この若者たちとともに未来を切り開いて行こうという思いが体中に広がったような気がします。


前山 研一郎さんに寄せられたメールを転載します。
大高 誠さんは、私の同窓で、同じ秋田県出身です。 心配をしていました。(三浦)


宮城の大高です。
 お見舞いありがとうございます。
 古川は震度6強(3.114.7)で古い建物はかなり被害がありました。
 幸い私の家は本や食器が壊れ落ちたくらいで建物にはそれほど被害はありませんでした。 地震保険の調査で「一部損壊」ということです。保険金額の5%が給 付されました。 
 4月上旬に全障研に送ったメールです。その頃の私の思いです。
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 震災から早一月が経ちました。停電が解消し(10日後くらい) 震災後初めてテレビを見た時に、津波はこんな映像で報道されていたんだと思い知らされました。 それまで新聞で写真は見ていましたが、映像で見たときのショックは私の写真からの想像を遥かに超えていました。これが津波なのかと。
 気仙沼、石巻の知り合いの安否が気になりましたが、携帯電話をかけるまで躊躇しました。一刻も早く安否を確認したいという思いともしやという思いとが交錯して 携帯のボタンを押す指先が震えていました。電話はつながりました。電話の向こうに友の声がありました。無事でした。家は流されていました。学校で勤務の最中、2キロの道を必死に駆け上って逃げたそうです。車は流されました。すべてが流されて涙一粒も出ないと話していました。
秋田の甥っ子から電話が来ました。私が 無事でいることに感激していました。人が生きていること自体に素直に感動せずにいられない、そんな状況でした。3週間後、ようやくガソリン事情が通常に戻った ので被災地に行きました。 自分の思い出の中の沿岸部の浜の様子を直に見てみたいという思いにかられて支援でもなくボランティアでもなく、とにかく行ってみたかったのです。石巻、女川、 志津川(南三陸)。一体、何が起きるとこのような事態になってしまうのか、どんな力がこれほどまでに破壊し尽くすのか、これほどの自然のパワーってあるのか、私には想像ができませんでした。「津波」のイメージと目の前のがれきの山の現実がつながらないのでした。自分の目線より遥かに高いところまで襲ってきた津波の黒い水の固まりを想像できませんでした。何人の人がその黒い水の固まりに飲まれたことか、いまだ実数がつかめていません。そこに生きていた根拠がすっかり失われてしまいました。記録も流失しました。それを記憶していたであろう隣人もいないかもしれません。生きていたことも死も記録されずにこの世から消えてしまったかもしれません。
 「がんばれ!」って頑張っていない人に向ける言葉です。もっとできるはずだと。或いはもっと伸びるという期待を込めた励ましです。しかし、被災地の人にガンバレ! はむごい言葉です。私たちは一日も早い復興を願って静かにできることをやるしかありません。
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 沿岸部の地盤沈下と福島の原発被害は将来への夢を打ち砕いています。これまで生きてきた土地での復興、再生ができるのかどうか、どの地で頑張ればよいのか、今のところ希望の地を見いだせていないのが現状です。震災失業もあふれています。とりあえずの失業保険で食いつなぐとしても、それは最長2年のことで、その先は何も見えていません。明日は石巻で支援活動をします。「何かした い、自分に何ができるか」そんな思いで日々暮らしています。  大高 誠

金野 堅市さん(23回)の消息を教えてください!  河本 兼美さんから。

金野さんご自身はご無事でした! 
23回千葉さんの連絡を待ちたいと思います。(三浦2日)


先程、同期の千葉仁志くんから電話ありまして、先週木曜日行方不明だった金野くんからハガキが届き、無事だったことが確認できました。電話で話しもできたようで、津波がきたとき、高齢の両親を車に乗せて逃げようと必死だったようです。津波の速さに呑まれ無我夢中で自分がどうなって助かったか記憶がないとのこと、両親は体も不自由ということもあり亡くなったそうです。金野くんが助かったか後、記憶をたどり車をみつけ、両親をみつけることができ、報道されたように、土葬で仮埋葬し、しばらくしてから火葬ができて、供養したようです。詳しくは、千葉くんが、ブログ森合通信に投稿しますのでよろしくお願いいたします。 (河本さんから、1日にメールでご連絡がありました。)

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三浦隆様

この度は、前山先輩の一通のハガキから「森合通信」のブログにまで繋がることができ感激しています。やはり、人生を特に後半の第2の人生を豊かに、楽しくしていけるのは、
気のおけない友人や仲間の存在だと思っています。
このブログは、福島大学時代の仲間の情報交換ツールとして
今後大いに役立つと思いますし、活用したいです。少しでも輪を広げていきたいです。

大震災後、同期の千葉仁志くん
(長男・和彦くんは、J1新潟アルビレックスDF背番号3)と話したのですが、
同期で旭寮で共に過ごした金野堅一?(こんの・けんいち・気仙沼在住)くんが
その後連絡が取れない、もしかすると津波に襲われたかもしれないと。
あれだけの大きな災害でしたので情報がつかみきれていない状況だと思います。
もし、安否情報をお知りの方がいらっしゃいましたら情報をお寄せください。 
23期生 河本兼美(信夫寮・男声合唱団)     

三浦追記 16日: 正しくは 
金野 堅市さん です。 朝日新聞で検索しましたが、確認できません。
どなたかご存知でしたら、安否情報をお寄せください。 お願いします!
金野 堅市さんは数年前、気仙沼市の山側から海側近くに転居されたとの、河本さん情報です。


三浦追記 16日: 仙台信陵会ブログができたとのことで、そちらにも投稿しました。  

2011年5月14日土曜日

西沢 重雄さん(18回)のメールです。旭寮OB情報です。

前山研一郎さんに寄せられたメールを、転載します。(三浦)

一寸前の情報ですが、まとめたものなどを、以下に記載します。
安否で気になるのは、やはり同年代でお互い顔を知った仲間(寮など)です。

( クリックすると、拡大します。 掲載の方の氏名は新着情報等に掲示しません。 三浦 

大和田 敏さん(18回)のメールです。

前山研一郎さんに寄せられたメールを、転載します。
西沢 重雄さん経由の情報です。(三浦)

大和田 敏さん(18回)のメールです。

小生の実家は流出、薄磯地域は壊滅。実兄は不明でしたが昨晩、遺体確認との報受けました。高槻のところも危惧されます。相双地区の方々の安否が気になりますと同時に原発の行方も公式発表だけ信じていいのか、疑問です。うちは取り敢えず遺体を前橋まで搬送することにしました。

田中 立男さん(24回)のメールです。

前山研一郎さんに寄せられたメールを、転載します。
牛渡 俊さん(大27)の情報です。 (三浦)


 牛渡君(牛渡 俊 大27。三浦追記)の石巻の実家ですが、母親は無事だそうです。電気も通り、風呂が電気式なので風呂にも入れるとのこと、市内の親戚の人も風呂に入りに来て、普段より賑やかとのこと。1月に父親が亡くなり、1人暮らしになっていたのですが、家も被害にあわず一安心です。

後藤 康夫さん(21回)のメールです。 「帰宅難民 イン 東京」

後藤 康夫さんからのメールを、転載します。
次のトピックスも併せてご覧ください。(三浦)

1 後藤康夫の「3・11 帰宅難民 イン 東京」
3月11日は経済理論学会の機関誌『経済理論』の編集委員会で上京し、専修大学神田キャンパスで地震に遭遇しました。編集委員会終了後、徒歩にて東京駅に到着。この日は、東京駅の地下歩道に新聞紙を敷いて、一泊しました。同じような人が数百人いました。
12日は、新幹線待合室に移動し、東北新幹線の運転再開をひたすら待っていました。夕方には上越新幹線が再開、東北新幹線は再開せず、待合室にて、今度はダンボールを敷いて二泊目。但し、待合室の乗客による「毛布ぐらいだせ!」の抗議により、一人あたり一枚の毛布が支給されました。13日は、早朝5時、宇都宮までJRが走るとの情報を受け、上野駅に行き、上野駅から宇都宮駅までJR在来線で移動しました。宇都宮駅には、福島や仙台、岩手、山形、秋田方面に向う乗客がたくさんいました。ジャンボ・タクシー(9人乗り)で、郡山まで乗ることが出来ました。郡山からは、またタクシーを乗り換え(3人相乗り)て、福島に夕方、無事、辿り付く事が出来ました。
こうして、「帰宅難民」から解放されました。 とは申しましても、震度4程度の余震の頻発、上空をひっきりなしに飛ぶヘリコプターのバリバリという騒音、救急車や消防車の間断なく続くサイレン、そして福島原発の建屋爆発と付近住民の避難(福島市は少し離れており、避難の必要はありませんが、風向きによっては危ない範囲にあります)と、なかなか心が落ち着きません。断水も続き、生活水に事欠く毎日です。ようやく、本日あたりから固定電話もぼちぼちつながりはじめ、全国から励ましの声も届くようになりました。
福島大学は、入試は「中止」(センター試験のみで選考)、建物にも15日まで入校禁止、となっています。                          2011年3月14日 後藤康夫記
 断水はその後も続き、8日間に及びました。 福島は、地震、津波、余震、原発、風評被害と「五重苦」にあります。福島大学の入学式は、5月に延期になりました。研究室も自宅の書斎も、やっと整理がついたかと思った矢先、4月7日深夜の震度5強の余震で、またしても崩れました。とくに絶え間ない余震と原発への不安は、かなりのストレスです。 
                    2011年4月9日 震災から一ヶ月を前に 後藤康夫記

後藤 康夫さん(21回)からの、情報です。 「経済理論学会の声明文」

後藤 康夫さんからの文章をご欄ください。 「経済理論学会の声明文」です。
文章はクリックすると、拡大します。 (三浦)



ご意見・ご提言の第1次集約の期限を6月10日とします。1000字程度のご発言を以下宛に電子メイルあるいは郵便でお送りください。
集約先:〒 572-8508 大阪府寝屋川市池田中町17番8号 摂南大学経済学部 八木紀一郎宛 yagi@econ.setsunan.ac.jp 



中里 正光さん(20回)のメールです。

前山研一郎さんに寄せられたメールを転載します。佐藤 真さん(20回)情報です。(三浦)

前山さんへ
同窓生の安否情報です。
名取市在住の佐藤 真さんは元気にしています。同市の閑上地区は津波により壊滅的被害をうけましたがここから避難してきた方々への炊き出し等がんばっていました。彼のもっている情熱は学生時代と全く変わっていません。
 又、連絡します。    仙台市 茂庭台 中里

梁取 洋夫さん(18回)のメールです。



前山研一郎さんに寄せられたメールを、転載します。(三浦)

前山様
  頑張ってください。先日、宮城県漁連副会長のインタビューが、「赤旗」1面肩にのっていましたが、彼はわが吉原ゼミの先輩(1期生?)です。また、4月20日前後の5面には、桜美林大の藤田実教授が「大震災後と日本経済の復興」とやらのテーマで顔写真付で出ていました。ご承知のように、彼も吉原ゼミの後輩にあたります。
このように、大震災後、同窓生は各地で復興の先頭に立っています。
 みんなで協力しましょう。
          5.1 梁取


( 探し出しました。古紙直前でした。 三浦 5月15日。)
船渡 隆平さん(14回) 藤田 実さん(26回)


土田 宏禅さん(17回)からのハガキです。

前山研一郎さんに寄せられたおハガキを、転載します。(三浦)

土田 宏禅さん(17回)。

覚方 守さん(23回)のメールです。

前山研一郎に寄せられたメールを、転載します。(三浦)

前山さま
 ・今回も発信頂きまして本当にありがとうございました。 私なりの近況を簡単ではありますが報告させて頂きます。
 ・3月11日、娘が仙台駅ビルのショップの店長をさせて頂いており 当日も勤務でありました。しかし地震発生後、全く連絡が取れず大変心配しておりましたが、 四日後「避難所でなんとか元気でいるよ」との連絡が取れまして、ほっとし安心できた状況でありました。
 他には地震による被害などはほとんどありませんでしたが、家の中で倒れたもの、壊れたものなど1階・2階の片付けには、奥さんが帰宅するまで私と犬2匹では全く手がつかず放心状態で待っていました。
 ・多数の方が亡くなり、また行方不明の皆さんが多数おられる状況でしたので毎日が悲しすぎる日々でありました。
  自分がかつて在籍しておりましたヨークベニマルで、また懇意にしておりました宮城県の地元のスーパーさんで、ともに海沿いの店舗が、一瞬にして建物毎お店が流され消滅してしまう”ということが起きたり、二階建ての店舗の店長をしておりました後輩の体験では、津波を避けニ階へお客様を誘導したが、1階の店内には水がひいた後多数の遺体が残されていた、というやるせない体験をしていたようです。この世の地獄とも思えるような出来事があちこちの被災地で起きてしまったのが、今回の地震、津波の被害であったのです。
・私の現在の体の状態では”車を飛ばしてかけつける”こともできず、新幹線、高速も使えない状態ではただ待つことしかできませんでした。そんな中でもやはり「原発の風評被害」という、「地震・津波・原発・風評被害」の四重めの災害<風評被害には立ち向かわなければ・・福島に在住する県民の一人として、そう思わずにはおれません。
「何かできることがあるはず」、自問自答を繰り返す日々となっておりました。
・やはり流通を通して福島県を”以前の状態に少しでも近づけること ができるよう”、なんらかの貢献をしたい・・・
現在は「ペンの力」をいかせないか・・・、商業界さまという流通関連の皆さんには、読まれる可能性の高い雑誌を発行されていますので、是非”風評被害の大きな誤り”について、企画できないか・・・只今依頼をしておる所であります。
 (全く違うテーマで6月1日発行予定の「雑誌商業界」の中で、前山さんも記憶が蘇るであろう、しのぶ山登山の話まで
入れ込みました執筆原稿がでますので、どこかで立ち読みでもして頂ければ、と思います)
・原発も「人災」ですが、この風評被害も明らかに「人災」であります。時間の経過とともに原発の収束がすすんだとしても この風評被害を取り除くには、かなりの時間を要するのではないか・・・、と考えております。
立ち向かっていくにあたり、私の考えておりますポイントは
◎国内から世界までを巻き込んでの取り組みであること
・アメリカの「日本国籍を取得して日本に永住を決めた日本文学者」であるアメリカ人の話
・宮城県女川町で自分の会社に勤めていた中国人20名を無事避難させた後津波で死亡した日本人の会社経営者の       会社と家族のために基金を立ち上げた中国大連市の話。日本バッシングのような中で”全く逆の方向から考えられている”事例として共通するものがある。
◎「構想力、結集力、情報力」の3点から風評被害への対応を探っていく取り組みであること
・フレームをどのょうに構築するのか・・が一番の決め手
・被災県である「岩手、宮城、福島、茨城」が被災県の復興に互いに協力し合う関係がつくれること=官
各被災県において主となる「ローカルSM]が協力し合う関係を構築する =商
各被災県の”一次産業従事者”である生産者が協力し合い生産し出荷し合う関係 =農水産
・データからも明らかに安全であり安心して飲食できる生産物である事、発信し続ける取り組み
なんとしても具体化すべく働きかけをしていくつもりであります。 
福島大学での生活したことも、誇りに感じられるような”良い思い出のまま”大切にしておきたいものです。
力のないものに、ヒントでも頂けたら幸いであります。
     IR インナー・レボリューション      覚  方   守

河本 兼美さん(23回)のメールです。

前山研一郎さんに寄せられたメールを、転載します。(三浦)
連絡ありがとうございます。この度の大震災の被害は甚大ですね。 
 多くの方々が亡くなったり、行方不明で、被災地域の大学時代の先輩、同期、後輩の消息を確認するてだてがありませんでしたので、ハガキで連絡いただき先輩の有り難さを感じております。
 私の近況を報告します。( 中略。文責 三浦) 先日19日、ちょっとした油断から階段を踏み外してしまい、前のめりで転落し、 右足膝で全体重を受けて、膝蓋腱(しつがいけん)を断裂してしまいました。救急で自治医大に入院し、全身麻酔で3時間半の 手術をし、翌日からリハビリで松葉杖を使った歩行訓練、27日に退院。ギブスがはずれ、中のワイヤーを抜く手術が8週間後、全治三ヶ月といわれています。ほんのひとっきり我慢すれば私の場合は、普通に歩けるようになるので、被災者のこと、福島原発事故による避 難させられている方々のことを考えたら甘えてなんかいられません。 
 今でも自分ができることをと何か 〓〓〓一昨年から、妻と夫婦デュオ(キララ&ポンパ)とし時々、デイサービスや後援会のつどいなどで歌わせてもらっています。きのうも、鴻巣にあるギャラリー喫茶香文木(こうぶんぼく)で、上尾市小泉在住の橘さんご夫妻によるチャリティのボサノバライブがあり、ゲストとして松葉杖姿で演奏してきました。参加者から義援金を募り、被災 者に贈ることを皆で確認しました。
〓前山先輩のところには、たくさん情報が入ってきていると思います。私達前後の消息がまとまりましたらお知らせいただければと思っています。お体を大切になさって、ご活躍されることを願っています。福島大学経済学部23期生  河本兼美でした。


2011年5月8日日曜日

藤倉泰治さん、志位委員長から激励 


8月25日、しんぶん赤旗の記事を転載します。
 藤倉泰治さんが発言しています。 
 病院の火は消させない。「震災前の機能に戻すのは県としての筋でしょう」と。
折しも、岩手県は知事選のただ中です。 ご健闘を祈ります。(三浦)
































7月10日、しんぶん赤旗の記事を転載します。
 9日に 救援・復興岩手県民会議結成。 藤倉泰治さんが発言しています。


6月3日、5日のしんぶん赤旗記事を転載します。





















5月25日 しんぶん赤旗の記事を転載します。
藤倉泰治議員、紙参議院議員と同行の内容です。
























5月8日 しんぶん赤旗の記事を転載します。





















2011年5月5日木曜日

福島大学、福島高商、福島経専の写真をお送りください

福島大学(森合校舎)、福島高商、福島経専、福島大学(教育学部校舎)の 写真 をお送りください!
学生歌「 今日の世紀に 」を、別演奏で公開をしたいと考えています。
併せて、森合校舎の思い出の写真を集めて編集ができればと思います。
残念なことに、1枚しかWebでは入手できません。 また、卒業アルバムとかも手元にありません。
皆さんの手元にある写真を(もちろん公開OKの前提で)、ぜひお送りください。
ファイル添付、紙焼き(返却もします)で、お願いします。
大学・寮・グランド、信夫山などの風景写真 とか、
クラブ活動、自治会活動、他校との交流記念写真とか、を求めます。
待っていますよ!! ( 三浦 )

2011年5月1日日曜日

前山研一郎さんから_被災・安否情報をお寄せください・・とのはがきが届きました

震災から3ヶ月目になりました。 
福島が フクシマ と呼ばれるようになり、世界中が注視しています。
このブログも10以上の海外から閲覧されています。
人災である原発被害が一刻も早く解決されることを望むものです。

前山研一郎さんから はがき が届きました。 ご覧ください。

三浦からのお願いです。 皆さんの現況をこのブログに掲載させてください。
このブログは、すでに1100以上のページビューがあります。
同窓は、相互の情報を求めているのです。 その一助になればと思っております。
前山さんへのご連絡の際、 ブログ掲載OK と書き添えてください。

前山さんの連絡先を、改めてテキストで記載します。
advance_maeyama@mac.com
〒151-0051 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-3-1-705   (株)アドヴァンス 
Tel 03-5414-7062 Fax 03-5414-0586
     090-2919-0916   またはご自宅  048-787-8866